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2013年6月16日日曜日

このブログ

このブログを開設したのは2007年5月とまぁまぁ古いんだけど、それからほぼ4年半放置。2011年末くらいからボチボチと投稿をはじめたので、実質1年半ほどなんだけど、気が付いたらページビューが4000を越えてた。

うーむ。この数値が多いのか少ないのか、私にはさっぱりわからない(笑)。ここ最近は新規投稿なんてあまりしてないのに、月300ページビューくらいで推移しているんだけど、古い記事でも見に来てるのかなぁ。なぞだ。

まぁWEBの感覚からすれば、個人で月3000ページビューとか稼げるようになれば、それなりにトレンドキーパーソンにもなれるんだろうけど(笑)、月300じゃぁな。特定の友達にしか公開されないfacebookにはほぼ毎日数件は投稿してるんだけど、それをブログへ移行したら3000くらいいくかな。うーん、どうだろう(^^;。

結局ページビューを稼いでも特にメリットもないだろうし、これまで通り気が向いた時にボチボチ更新したのでいいかなぁ。

2013年5月17日金曜日

アマゾンギフト券現金化ビジネスプラン

着々と貯まりゆくアマゾンのギフト券残高を見ながら思ったんだけど、今すぐどうしても欲しいものがないとか、買う予定だったけど中止になったとかで、使い道のなくなってるギフト券残高を持ってる人って、少なくないんじゃないかなぁと。

まぁ一般的にはそれほど高額の残高があることもないだろうけど(笑)、放っておくと有効期限が切れてゼロになってしまうし、いくらかの手数料を支払ってでもこれを現金化する方法はないかと考えてみました。
Aさん:アマゾンギフト券残高10,000円分保有
Bさん:売価10,000円の掃除機購入予定

1:Aさん=アマゾンギフト券10,000円分で掃除機購入(配送先はBさん宅)
2:Bさん=現金8,000円をAさんの口座へ振り込み

結果
Aさん:10,000円分のギフト券が8,000円の現金に
Bさん:10,000円の掃除機を8,000円で購入出来た
もちろんAさんがギフト券2,000円分を失ってはいますが、当面使い道のなかったバーチャルマネーが2割の手数料を支払ってリアルマネーになるのであれば、充分あり得る取り引きではないかなと。Aさんさえ納得出来れば、アマゾンでさえ損をしない、三方win-win-winの関係になるではないかと。

でもこれではあくまでも個人間の取り引きでしかないので、もしビジネス化するのであれば・・・
1:Cさん=AさんとBさんをマッチング
2:Bさん=現金9,000円を仲介業者Cさんへ振り込み
3:Aさん=アマゾンギフト券10,000円分で掃除機購入(配送先はBさん宅)
4:Cさん=現金8,000円をAさんの口座へ振り込み

結果
Aさん:10,000円分のギフト券が8,000円の現金に
Bさん:10,000円の掃除機を9,000円で購入出来た
Cさん:AさんとBさんを引き合わせた手数料1,000円をゲット
Aさんが現金化のために失う2,000円をBさんとCさんが分け合う形になっており、やはり全員がwinな関係にはなっていますが、Cさんが恒常的なビジネスとして取り組むには、さすがにもうひとひねり必要な気がしますねぇ。
1:Cさんはマッチングサイトを開設
2:Bさんさんは希望商品と希望購入額をサイトへ登録
2:それを見たギフト券残高持ちのAさんのような人が、自分の残高や現金化したい額に適したデータにアクセス
3:Aさんが内容を了解し、申し込み
4:Bさんへは取り引き相手が見つかったので、現金を振り込むようサイトから自動的にメールで連絡
5:CさんはBさんからの振り込みを確認したら、Aさんへ商品を購入するよう連絡
6:Aさんが商品を購入し、Bさん宅へ配送
7:Bさん宅へ商品が到着したら、CさんはAさんへ現金を振り込み
Bさんの振り込み完了を取り引き成立、商品の到着を取り引き完了としておけば、Cさんにとって、AさんやBさんが契約を履行せずばっくれることによる損失を防ぐことも出来そうです。

ただ、上記フローで2回ほど発生する現金移動時の手数料がネックになりそうで、ここがクリア出来れば、Cさんはマッチングサイトの開発費のリスクを負うだけで、あとは濡れ手に粟なビジネスモデルに・・・ならないかなぁ(^^;

2013年5月7日火曜日

インターネットの落とし穴

スマートフォンやタブレットの普及により、それまでパソコンの使用が前提であったインターネットがさらに便利になり、まさに「いつでも、どこでも、すぐに、簡単に、無料(または格安)で」必要な情報を手にすることが出来るようになってきました。20年前のインターネット黎明期に、将来まさかこんな状態になってしまうとは、一体どれだけの人が予想出来ていたでしょう。

このインターネットの普及は「メディア革命」とも呼ばれ、それまでメディアの代名詞であった、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌などが徐々に衰退または縮小しつつあります。もちろんこれら旧メディアがこのまま数年で消滅してしまうようなことはないでしょうが、少なくとも現在の規模や品質を未来永劫維持出来ているとは考えられません。

テレビはわずかしかないチャンネルから好みの番組を選ぶことしか出来ませんし、ラジオに至っては受信機自体が各家庭に無くなってきているという現状は如何ともしがたいところです。また、地球にやさしく!エコ生活こそあるべき姿だ!と一大キャンペーンのごとくエコを広めた新聞や雑誌は、多量の紙資源、要するに森林資源を消費してしまうまさに反エコロジーの象徴でもあり、自分で自分の首を絞めることになってしまいました。

これらテレビ離れ、ラジオ離れ、新聞離れ、雑誌離れと言われる現象は、確かに各メディア自体が既得権益の上に胡坐をかき、時代に即した変革を怠ってきたというのも大きな要因の一つですが、裕福な生活に慣れ、均一で画一的な幸せを求めるのではなく、自分らしい幸せを求めるという、多種多様な価値観の存在を世間が認めるようになってきたことも、外すことの出来ない大きな要因だと言えます。

そういった風潮にインターネットはまさにフィットしました。例えば音楽好きであれば、大好きな曲データをダウンロードしたり、歌詞を調べたり、アーティストの経歴から今何を考えているのかまで、考え得るほとんどの情報を知ることが出来ます。例えば釣り好きであれば、今どこでどんな魚が釣れているのか、どんな餌や仕掛けがいいのか、新しい竿やリールの情報、釣り大会の情報、仲間との釣り談義‥‥全てインターネット上で可能です。

実際にこれらを既存メディアで実現しようとすると、コスト云々、速報性云々以前の問題として、ほとんど不可能です。まさにインターネットの独壇場と言えるでしょう。

そしてテレビを見る時間がどんどん少なくなり、ラジオは車の中でたまに聞く程度、新聞の購読はやめてしまい、雑誌も滅多に買わなくなった。そのかわりインターネットで、必要な情報や好きな情報に埋もれる毎日‥‥。これは未来の話ではなく、既にそういう生活にどっぷりと浸っている方も決して少なくはないでしょう。


旧メディアとインターネットの違い
とても便利で素晴らしい時代になった。そうですね、確かにそう思います。でも、旧メディアとインターネットでは、情報に対する基本的なスタンスが大きく異なっている点を忘れてはいけません。それを忘れたまま現在の傾向、旧メディアからインターネットへ移行していくという傾向を加速させてしまうと、気が付いた時には「こんなはずじゃなかった!」ということになってしまう可能性があるのです。

情報に対する基本的なスタンスの違いとは、旧メディアがプッシュ型なのに比べて、インターネットは基本的にプル型だということです。プッシュ型とは、こちらが特に何もしなくてもメディア側からどんどん情報をプッシュ、送り付けてくる形式で、プル型とは、こちらが行動することによって情報をプル、引っ張ってくることが出来る形式です。

そんなことは今さら言われなくてもわかっていたという方もいるでしょうし、言われてみれば確かにそうだなという方もいるでしょう。ただ、意外とその先、要するに情報を受ける際の方法が違うことで、どんな弊害が出て来るのかまでは気付いていない人が多いのです。

私が子供の頃、家庭のテレビは居間にある一台だけで、家族中がその前に座って団欒することが多く、どの番組を見るのかのチャンネル権争いという言葉も生まれるほど、家庭の中心でさえありました。私は大好きなアニメや歌番組をよく見ていましたが、父親が大好きな時代劇も仕方なく一緒に見ました。母親が大好きなドラマも仕方なく一緒に見ました。姉が大好きだった洋画も仕方なく一緒に見ました。家庭ではどのチャンネルを選ぶのかという選択権こそありましたが、テレビのスイッチを入れている以上、好むと好まざるにかかわらず、どんどんと様々な種類の情報が送られてきたのです。

時代劇からは岡っ引き、お白州、賭場、市中引き回し、遠島、隠密、抜け荷、花魁などなど、社会科の教科書ではまず習わないだろう言葉とその意味をたくさん知ることになりました。ドラマや映画からは、自分の知らない世界のことをたくさん教えられました。それが実際何かの役に立ったかどうかは別にして、相当な知識をテレビから受け取りましたし、そこから興味を得て更に詳しく調べてみたことも一つや二つではありませんでした。

新聞だって同じです。政治や経済の記事はもちろん、ページをめくれば社会、生活、文化、スポーツ、芸能などなど、いろいろな情報が目に飛び込んできます。これがプッシュ型メディアの最大の特徴で、こちらが求めている求めていないに関わらず様々な情報を送り届けることが出来ます。また受け手の立場からすれば、興味がなく必要性もない情報でも、必然的に目にしてきました。

ところがインターネットだと自ら望んで情報を取りに行きますから、わざわざ興味のない情報、必要でない情報へアクセスするはずがありません。お陰で旧メディアで費やしていた一見無駄な情報の取得が無くなるのです。考え方によれば、非常に効率的な情報取得ではありますが、果たして効率的な情報取得が本当に理想的なのでしょうか。

インターネットのみの社会
この状況をわかりやすくするため、旧メディアが無くなり、インターネットのみとなった社会を考えてみましょう。

最新ニュースだろうがマニアックな情報だろうが、インターネットで調べれば即座に表示されます。一見これまでと変わりのない日常だと感じるかもしれませんが、ではあなたは、アイスホッケー日本代表の試合結果を検索するでしょうか?出雲大社と伊勢神宮の参拝方法の違いを検索するでしょうか?宇宙デブリ(人工衛星の破片など地球の衛星軌道上を周回しているゴミ)の回収方法の研究進捗状況を検索するでしょうか?たぶん、興味がないからしない、関心がないからしない、そもそもそんな内容自体を知らないから‥‥ということになってしまうのではないでしょうか?

もちろんそれはそれでもいいのかもしれませんが、例えばこういうように、自分の守備範囲以外の情報に触れる機会が極端に減ってしまうと、自分が何に興味があるのかということ自体が非常に曖昧になってしまいます。もともとその情報の存在自体を知らないのですから、興味の持ちようがありません。

結局、自分が知っている範囲の情報や知識はどんどん深くなっていきますが、そうでない分野は、もし知っていればとても有益であったり興味を持つだろう内容でも、とても遠い存在として目に触れることなく、手に取ることなく流れていってしまう可能性が大なのです。

確かに普段チェックしているポータルサイト(Yahoo!Japanやgooなど)には、多種多様な情報が掲載されているから、そんな心配はしなくても大丈夫だという考え方も出来ますが、それはあなたが多種多様な情報をクリックするのであれば‥‥という条件が付きます。私の知る限り、ポータルサイトを開いて、自分に興味のない情報をクリックしまくる人はいません。たまにはそういう情報の取得方法を取っている人がいるかもしれませんが、それを習慣付けていたりはしないでしょう。

いや、私はポータルサイトを開いたらやたらめったらクリックしろとか、大切な旧メディアを守りましょうなどと言っているわけではありません。ただ現実問題として、旧メディアからインターネットへの乗り換えを行うに際して、こういったデメリットがあり、それは一般生活をおくるにおいて、人が成長していく過程において、ビジネスを進めていく側面において、マイナスの影響を与えるであろうことをしっかりと理解しておく必要があるだろう、ということなのです。

また逆に言えば、もし旧メディアがプッシュ型のメリットをインターネットへ持ち込むことが出来れば、新しい展開が開けてくるかもしれません。

2013年4月21日日曜日

電子書籍にビビるマスコミ

以下、時事通信の記事引用です。
電子書籍、利用者7%=「使わない」が7割-時事通信調査
 時事通信が3月に実施した電子書籍端末の利用に関する調査で、「使っている」との回答が6.7%、「使いたい」が22.2%にとどまり、69.8%が「使いたいと思わない」と答えた。利用者の割合は前回2011年3月調査(3.3%)から倍増したが、同端末の普及が進まない様子が浮かび上がった。
 年齢層別の「使っている」の回答割合は、30代が18.5%で最も高く、次いで20代が11.3%。一方、40代は6.1%、50代は4.1%、60代以上は1.5%と低調だった。「使いたい」は、20代から50代が25~30%程度だったが、60代以上は11.9%にとどまった。(2013/04/20-16:15)
まず、2008年に行った文化庁の国民の読書量調査では、約46%が月に1冊も本を読まないと回答しています。この層は年々増えていますから、5年後の今ならほぼ半数が本を読まなくなっていると考えられるでしょう。約半数にも及ぶ本を読まない人に電子書籍について質問すること自体にも問題がありそうですが、もっと注目すべきは「電子書籍」ではなく「電子書籍端末」について質問している点です。

要するにKindleやKoboなどの電子書籍端末を使っているか?使いたいと思うか?と聞いているのに、見出しには「電子書籍、利用者7%=「使わない」が7割」と、なぜか電子書籍を主語に持ってきているのです。これでは騙し記事だと言われても文句はないでしょう。数年前と違い、今や電子書籍の主力端末は専用端末ではなくスマホや汎用タブレットであり、電子書籍端末の利用率や利用期待率が低いからといって、電子書籍自体を否定しているわけではないはずなのに、この捻じ曲げ方には疑問を感じずにはいられません。

このアンケート結果そのままを記事にするとしても、「電子書籍端末、利用者倍増=使いたいが約3割にのぼる」というタイトルを付けることだって出来るわけです。たとえば以下のような感じで‥。
電子書籍端末、利用者倍増=使いたいが約3割にのぼる
 3月に実施した電子書籍端末の利用に関する調査で、「使っている」との回答が前回2011年3月調査(3.3%)から倍増の6.7%、「使いたい」が22.2%となり、合わせて28.7%が「使っているまたは使いたいと思う」と答えた。同端末の今後の普及が予想される状況が浮かび上がった。
 年齢層別の「使っている」の回答割合は、30代が18.5%で最も高く、次いで20代が11.3%。一方、40代は6.1%、50代は4.1%、60代以上は1.5%と低調だった。「使いたい」は、20代から50代が25~30%程度だったが、60代以上は11.9%にとどまった。(2013/04/20-16:15)
どうです?後半の段落は一切加工していませんので、見出し+本文前半を本物の記事と比べてみてください。見出しから騙し要素の入っている本物より、こちらの方がよっぽどしっくりくるのは私だけでしょうか。

時事通信ともあろうものが、なぜこういう恣意的なアンケート結果を記事として堂々と公開するんでしょうね。電子書籍の普及がそんなに怖いのでしょうか?(笑)


ま、というような時事通信への突っ込みはこのくらいにして、せっかくなのでこのアンケート結果の本質を読み取ってみたいと思います。

まず、KindleやKoboなどの電子書籍端末を持っている+購入希望者が約3割ということって、私としては大きな数字が出たなと驚いています。だって情報機器は普及率が15%を超えると爆発的な普及につながると言われているのに、単純に購入希望者の半数弱しか買わなかったとしても、普及率は簡単に15%に達してしまうわけです。

現在はスマホや汎用タブレットが電子書籍の主力端末として利用されていますが、この数値からすると、将来的には電子書籍端末が主力となる可能性も充分あり得る、と考えられます。そう考えると、周囲から叩かれながらも、Koboの普及に力を入れている楽天の方向性は、あながち間違っていないのかもしれません。もちろん、全力投入中のアマゾンも‥‥。

それと、同記事の中では高年齢層が使っていない、使いたいと思っていないという点をなぜか強調していますが、シルバー世代商品でもあるまいし、言い方は悪いですが、電子書籍及び電子書籍端末の普及と言う観点からはどうでもいいことでしょう。主力である20代から50代が25~30%も使いたいと考えていることがわかれば、それで十分です。

ということで、マイナス方向への流れを作ろうとしている(と感じられる)このアンケート結果からでも、今後、電子書籍及び電子書籍端末はますます普及していくのではないかと想像されます。毎年毎年「今年こそ電子書籍元年」と言われて久しいですが(笑)、さすがにそろそろ元年と言ってもいい時期に来ているだろうなと、私は感じはじめています。

ということのということで、せっかくなので私の電子書籍(一部)をご紹介しておきますので(^_^;、お暇でご興味のある方は是非ご購入ください(^_^;;; 。いやーなかなか売れないのです・・・(T_T)。って、最後の最後にこんな宣伝を入れてしまうと、情報を恣意的に捻じ曲げているのは私の方?って思われちゃうかもなぁ。まぁ、それならそれでもいいや。

2013年4月17日水曜日

アウトドアリゾートをつくろう

コールマンっていやぁ、特にアウトドアに興味のない人でも聞いたことくらいはあるという、人気のアウトドアブランド。そのコールマンが新しいタイプのアウトドアライフを提案しています。その名も「アウトドアリゾートをつくろう」。

まぁ、いきなりアウトドアリゾートと言われてもピンとこないでしょうから、まずはこのビデオに目を通してみてください。



要するに、テントにシュラフにピッケルなんて持たなくても、アイデア次第でもっと気軽で手軽で楽しいアウトドアライフがあるじゃない?っていうことのようです。このビデオの中だったら、私は天空のコーヒータイムか、メガ盛り誕生パーティーがいいかなぁ。

アウトドアっていうと、ついつい大げさに考えてしまいがちで、準備やら予算やら後片付けやらを想像するだけで疲れてしまい、また今度でいいか・・・と。このアウトドアリゾートっていう考え方、大賛成です(^^)。

●コールマンの「アウトドアリゾートを作ろう」スペシャルサイトはこちら
アウトドアリゾートをつくろう。
●コールマン本体のWEBサイトはこちら
コールマンWebサイト

●5/25-26に東京で開催されるアウトドアリゾートのイベント情報こちら
アウトドアリゾートをつくろう。 In Tokyo Midtown


2013年3月18日月曜日

フレッツ光ネクスト隼 光の速さを体感しよう!特設サイト体験


確かに、光回線が速いことは知ってるけど、具体的にどのくらいの違いがあるかまではよくわかってないんだよね。数値で違いを示されても、ピンとこないのは仕方ないことで・・・。それをこういう方法(動画で比較)で説明してくれると、これは確実にわかる。ていうかこれでわからないなら、どうにも説明のしようがない(笑)。それくらいわかりやすい。

いや、冗談だと思うでしょうけど、以下のバナーから特設サイトを見てみてください。本当によくわかるから。見たら絶対「フレッツ光ネクスト隼すげー!」ってなりますよ。いやマジで(笑)。


「フレッツ光ネクスト隼 光の速さを体感しよう!特設サイト体験」



正直、このプロモーションには「やられた」感があります。いくら言葉や数字で説明しても、こういう感覚的な訴求力には叶わないですよね。実際、ユーザが求めてるのはこっちのわかりやすさですしね。

ちょっと考えさせられる広告でした。

※おまけにwifiでもこれだけの速度が出るってことは・・・ぶつぶつ・・・

オリジナルマット完成!

「印刷工房 煌」さんが実施していた「オリジナルデザイン玄関マットモニタープレゼント」に当選し、自分の描いたイラストでオリジナルデザイン多目的マット(玄関マットではない)を無償にて作成してくれました!

サイズは175×45cmですから、ちょうどキッチンマットにちょうどいいサイズですね。ということで、送ってもらったテンプレートに沿って作成したイラストが以下。

当ブログ常連の方はご存じかと思いますが、私がPowerPointのイラスト機能だけで描いている猫イラストシリーズ「Chika-Nyans」の登場猫たちをレイアウトしてみました。

元々はPowerPointデータなので、そのままでは印刷に使えないため、PowerPointデータを元にAdobe Illustratorで描き起こしました。おかげでちょっとイメージが変わってしまった部分もありますが、まぁ問題のない範囲でしょう。

で、数週間後、出来上がってきたのがこちら。


私も紙などの印刷物発注の経験は多々ありますが、生地への印刷は未経験だったこともあり、RGBからCMYKへのカラー変換がいまいちでしたね。微妙な色の違いや鮮やかさを再現することが出来ませんでした。。。

が、基本的には大満足です♪。写真で撮るとなんだかぼんやりとしてて見た目的にわかりにくい箇所もありますが、実物はとてもかわいく仕上がっています。おまけにいつもディスプレイの中でしか見たことなかったキャラクターたちが、でかいんです(笑)。当たり前ですが(^^;。

さっそく家族にも見せましたが、もちろん奥さんも子供たちも大喜び。ただ、かわいすぎてマットとして使って踏んでしまうことが忍びないとも(笑)。

印刷工房 煌の皆さん、本当にありがとうございました!


有限会社栄興
D.I プランニング ファンサイトファンサイト参加中

2013年2月10日日曜日

チョコへの目覚め

パティシエール杉本都香咲さんのブログで開催している「【LOVE♪LOVE♪チョコレート】キャンペーン!」で、チョコレートへの愛の告白をしてくれ!ということなので、私なりの告白を‥(^_^;。



私は、大のチョコ好きを恥ずかしげもなく公言する40歳代後半のおやぢですが、実は10年ほど前までチョコ嫌いでした。若い頃は女の子からもらったバレンタインデーのチョコも一切口にせず、そのまま母親にあげてしまう‥‥という暴挙でさえ仕方ないことだと考えていたほどでした。今考えてみても、なぜそこまで嫌っていたのか、私自身にも理由がよくわからないのですが。

しかし、10年ほど前、会社で席が隣だったチョコ大好きな同僚が、私のチョコ嫌いを知っていながら、毎日のように私に小さなチョコの欠けらを1つ2つとくれるのです。チョコって美味しいんだから食べてみてと。私も最初は抵抗していたのですが、ほんの1口程度のチョコだし、まぁいいかと口に入れるようになったところ‥‥。半年もすると自分でチョコを購入するようになっていました。

単に食べず嫌いなだけだったのか、それとも30歳代後半にして体質や嗜好が変化したのか、はっきりとした理由はわかりませんが、チョコのやさしい口どけと芳醇な味わい、苦味の向こう側に広がる奥深さ、そしてチョコを食べているという時間的な余裕から感じる、ゆったりとした心の安らぎ‥‥。長年こんな素敵な宝物を拒否することで、大切な時間を無駄遣いしていたようにも感じましたが、この年齢になってからだからこそ、チョコの素晴らしさに素直に向き合えたのかもしれません。

兎にも角にも、私はこうしてチョコ好きとなり、今ではチョコを片手に、チョコの美味しさ普及委員の1人として活躍の場を探している状況です。



【LOVE♪LOVE♪チョコレート】キャンペーン!の詳細についてはこちら

2013年2月2日土曜日

体罰反対!体罰禁止も反対!え?

大阪市立桜宮高校で、体罰が原因で生徒が自殺した件で世間が大騒ぎしているところへ、柔道女子強化チームの暴力騒動。世論はこれをきっかけに、日本のスポーツ界にはびこる体罰撲滅へと一気に雪崩を打とうとしているようです。

私もマスコミの報道でしか内容を知らないので、それだけで全てを知ったつもりで断定・断言は出来ないのですが、桜宮高校の場合、40~50発も叩いたのだとか。そこまでやっているのであれ体罰云々でなく、普通に暴行事件として扱うべきだと思うのですが、なぜか警察が動いているという話は聞こえて来ず‥‥。逆に言えばこれが暴行事件でないのなら、教育現場では何をやっても許されるということになってしまうのではないかと、心配にさえなってしまいます。

私は基本的に体罰反対です。と言うと我が息子たちから大ブーイングを喰らいそうですが、家庭内での躾としての体罰と、学校スポーツでの体罰をひとくくりにしてはいけません。それはそれ、これはこれですので、ごちゃごちゃ言わないように。>我が息子たち

なぜ体罰反対なのかというと、体罰容認としてしまうと、この桜宮高校の監督のように体罰と暴力の違いを理解しないまま、簡単に暴力に走ってしまう指導者が出てしまうためです。

私も小学3年から高校1年までずっと剣道をやっていたため、それなりの体罰は受けてきた記憶があります。が、何十発も叩かれるとか、殴る蹴るの暴行を受けたりしたことは当然ありません。また、スポーツではなく一般の学校生活においても先生から体罰を受けましたが、「生徒に手を上げることが先生にとってどれだけ辛いことかわかってるの!」と泣きながら私を叩いた先生もいました。

そういう経験からすると、確かに私は体罰容認派なのですが、先に述べたように容認としてしまうと、必ず勘違いする人が出て来てしまうため、立場的には体罰反対を取っています。

じゃ、体罰を完全に禁止すべきなのかといえば、実は体罰禁止にも反対なのです。なぜかと言えば、何を基準に体罰と認定するのかというような明確な線引きが、現実的に出来ないためです。

拳骨で顔を殴ったり、足で蹴ったりするのはともかく、明確な基準がないまま体罰を禁止してしまうと、もしかすると以下のような場合も全て体罰になってしまいかねません。
  • テストで0点を取った生徒に先生が、「もっと頑張れよ」と持っていた教科書でポンと軽く頭を叩いた。
  • 授業中だというのに席を立ち、走り回る児童を連れ戻そうとした先生が、児童の腕を掴んで強く引っ張った。
  • 授業中の態度が悪い生徒を、授業が終わるまでの時間その場に立たせた。※廊下ではない。教室外に出すことは学校教育法で禁止されているので。
  • テストの際、答えを書く欄を間違った生徒に先生が「おいおい、何やってんだよバカだなぁ。」と言った。生徒をバカと言った。
また生徒側も、ちょっと身体が触れたり、強い口調で言っただけで、体罰だ!パワハラだ!場合によってはセクハラだ!と騒ぎ始め、収拾が付かなくなってしまうことが目に見えています。よって体罰禁止にも反対なのです。

ということで、体罰反対だけど体罰禁止も反対ということになり、ある意味私の中で既に収拾が付かなくなってきたので、基本に立ち返り、体罰とは何かを考えてみることにします。

学校における体罰を禁止している法律は「学校教育法」です。
学校教育法<第11条>(懲戒)
校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。

ただこれだけでは抽象的過ぎるので、法務省が通達を出しています。
学校教育法第11条にいう「体罰」とは、懲戒の内容が身体的性質のものである場合を意味する
  1:身体に対する侵害を内容とする懲戒(殴る・蹴るの類)は体罰に該当する
  2:被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒(端坐・直立等・特定の姿勢を長時間にわたって保持させる)は体罰に該当する
すなわち、「体罰」はその成立要件として、
  1:懲戒の対象となる行為に対して、
  2:その懲戒内容が、被罰者の身体に対する侵害を内容とするか、被罰者に肉体的苦痛を与えるようなものであり、
  3:その程度があくまでも「罰」の範疇であること。

まだこれでもわかりにくいので、以下のような見解も出しています。
(参考)「生徒に対する体罰禁止に関する教師の心得」
(ア)用便に行かせなかったり、食事時間を過ぎても教室に留め置くことは肉体的苦痛を伴うから、体罰となり、学校教育法に違反する。
(イ)遅刻した生徒を教室に入れず、授業を受けさせないことは、たとえ短時間でも、義務教育では許されない。
(ウ)授業時間中怠けたり、騒いだからといって生徒を教室外に出すことは許されない。
(エ)人の物を盗んだり、こわしたりした場合など、こらしめる意味で、体罰にならない程度に、放課後残しても差し支えない。
(オ)盗みの場合などその生徒や証人を放課後訊問することはよいが、自白や供述を強制してはならない。
(カ)遅刻や怠けたことによって、掃除当番などの回数を多くするのは差し支えないが、不当な差別や、酷使はいけない。
(キ)遅刻防止のための合同登校は構わないが、軍事教練的色彩を帯びないように注意すること。

一般的にはどこからどこまでが体罰なのかが不明瞭でわかりにくい、という印象がありますが、こうして法令を文字で確認してみると、ある程度の線引きは出来ているような気がします。

しかし、通達にある「体罰」の成立要件の2にあるように、現行法ではあくまでも体罰とは「肉体的苦痛」が対象であって、精神的な苦痛は体罰とは呼ばないのです。さらに、桜宮高校の場合は学校教育法が適応されますが、立派な大人である柔道女子強化チームなどは当然適応外なのです。

このように見ていくと、いくらでも話が広がってしまい、どんどん収拾が付かなくなってきます。正直、私もこの流れで結論をまとめることが出来そうな気がしません(^_^;。

ただ、1つだけ、私なりの考えがまとまっている部分があります。それは、もし体罰を受ける側がそれを暴力であり暴行であると感じた場合、その苦情なりクレームなりを受け付け、きちんと判断する組織を整備することです。本来、学校なら教育委員会であり、強化チームであれば所管の協会が対応すべきなのでしょうが、現実問題としてそういう苦情に対処出来るだけの機能が備わっていませんし、それを彼らに求めることも酷だと思われます。

よって、それら機関・組織はあくまでも苦情を受け付けるだけの窓口とし、判断は第三者機関なり司法機関なりにまかせるべきだと考えます。教育という名のもとに暴力や暴行をふるう人間は、やはりそれなりの処罰を与えないとダメでしょう。先生を辞めれば、監督を辞めればそれで許されるなんていうのはどう考えてもおかしいのです。暴力も暴行も列記とした犯罪です。罪を犯した者は法に則って処罰される、それが法治国家としてのあるべき姿ではないのでしょうか。