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2012年1月31日火曜日

【経済】天然由来に激しい嫌悪感

近頃、健康食品や化粧品などのテレビコマーシャルなどで、よく「天然由来」とか「天然由来成分」という言葉が使われていますが、私はこの言葉を聞くたびに違和感を覚え、当該製品に対して嫌悪感さえ抱いてしまいます。




1:天然品や自然成分ではなく、なぜ由来なのか
このような表現をするということは、当然、畑で採れた大根や、海で釣りあげたサンマのような、「自然物そのものではないモノ」が含まれていることは明白であり、それを誤魔化すための方便だと思われます。「天然モノですよ」と言ってしまうと薬事法や景品表示法に引っかかってしまうため、ギリギリの表現で、消費者が勝手に天然モノであると勘違いしてくれることを狙っているのでしょう。
 
2:なぜ自然物=善、合成物=悪という根拠のない図式を押しつけるのか
そういう勘違いを誘うということは、天然モノや自然物が全て善で、合成物が全て悪であるという前提に立っていると思われますが、本当にとんでもない話です。山を歩いていて漆にかぶれたことがないのでしょうか?フグやキノコの毒にあたって人が亡くなったというニュースを聞いたことがないのでしょうか?トリカブトで殺人を疑われた事件を知らないのでしょうか?自然界には毒物が山のように存在しているというのに、おかしな話です。

3:自社製品に注意しろと言っているのか?
上記1と2から考えると、コマーシャルで「天然由来」を押し出しているということは、そう言わざるを得ない「何がしかの化学合成物質」が含まれているということを強調しているようにしか、私には思えません。要するに、化粧品のコマーシャルで「当社の化粧品には、何らかの化学合成物質が含まれているんですよ!どうですか?素敵でしょう?」とわざわざアピールしているとしか思えず、相当な違和感を感じてしまうのです。



時期的には、「茶のしずく」事件が表面化した頃からこの表現が使われるようになっているように感じますが、 この言葉を用いることで、余計に消費者に警戒感を抱かせる可能性は考慮されていないのでしょうか。それとも、警戒感を抱くような消費者層を最初からターゲットとしていない、ということなのでしょうか。

私自身は、無農薬野菜や添加物不使用食品の摂取こそが健全な心身を形作るという考えでありますが、現代生活においてそれだけでは生きていけない現実も充分に認識しており、厳格でストイックなエコロジストという訳ではありません。農薬を含め一定レベルの合成物は必要だと考えますし、その摂取もやぶさかではありません。子供の頃からのアトピー性皮膚炎で現在も苦しめられながらも、カップ麺のケミカルな味わいが大好きなくらいですから‥。

ただ、今回この話題を取り上げたのは、食品をはじめいろいろな商品について、自然回帰をと願う多くの人たちの想いを逆手に取って、売り上げを伸ばそうというコマーシャルのあり方に違和感を覚え、激しく嫌悪感を感じているためです。


画像:フリー素材屋Hoshino提供

2012年1月18日水曜日

地球外生物を地球のレベルで語るな

科学系のニュースで、●●という星にはアミノ酸があるので生物が存在する可能性が出てきたとか、数千度という灼熱地獄のため生物は存在しないことが判明したとか、地球外生物についての話題が時々出ています。地球外生物の存在を追求するという、非常にロマンあふれる研究をしている方々がいるようですが、そこから導き出されている、要するにニュースになっているような話を聞くたび、私は激しい不満に襲われるのです。


確かにアミノ酸の有無は、生物の存在確認には非常に重要な要素だと思われますが、それは地球上に存在する生物、地球上で共有されている知識の範囲内の話ではないでしょうか。「宇宙の生物=地球上の生物」と定義付けしたうえでの話ならそれでもいいのですが、いや、だとすればなおさら、なぜそのような無意味な定義付けをするのでしょうか。専門家ではない私にはどうしても納得が出来ないのです。

例えば、呼吸もしないし声を出すこともない、動くこともないし成長もしない、 手で触ることも出来ないし目で見ることも出来ない‥‥そんな生物がいてはいけないのでしょうか。現在の地球の知識では確認出来ていない物質、把握出来ていない法則、想定も出来ない理論‥‥そのようなものが、この広い宇宙に存在していないという前提なのでしょうか。

現在、我々人間の目に見える範囲や耳で聞こえる範囲に限界があることは一般人でも知っていますし、アインシュタインの相対性理論が、時間や空間の原理を完全に説き明かしているかどうかの確認さえ出来ていません。それであればわざわざ自分から視野を狭くしたりせず、言うなれば人知を超えた世界が我々の周りには存在しているという認識に立ったうえで、地球外生物の研究をしていくべきではないかと私は思うのです。

もちろん、現代科学で調べられないものは、見つけることも、その存在証明も確認も出来ないでしょう。でも、そのつもりで探し続けるのと、初めから存在しないものとしているのでは、導き出される結果も違ったものになってしまうのではないでしょうか。

「科学的に証明できないから存在しない」のではなく、「存在を証明出来ないのが科学」であり、科学を超えた存在こそが地球外生物なのではないかと、私は思っています。

2012年1月16日月曜日

未確認飛行物体UFO

中学生の頃、英語塾の帰り道、友達数人と立ち話をしていると、薄暗くなった山際の空を小さな光の点が移動しているのが目に入りました。友達に声をかけると、その光の点は急角度で降下し、再び水平移動に移りました。振り返った友達も「あれ?」と驚きの声をあげたその時、光の点はフッと我々の視界から消えてしまいました。

私とその友達は「UFOだ!」と大騒ぎでしたが、その場にいながら見逃してしまった連中は、「UFOなんているわけない」「飛行機じゃない?」「何かの光を見間違えたんだろう」と全く信用する気配がありません。私たちは「いや、あの動きは飛行機では無理だ。絶対にUFOだ!」と力説したのですが‥。

ところで、このような論争は古今東西、日本中で、いや世界中で何度となく交わされてきたことでしょう。 一時期はテレビのバラエティやドキュメンタリーなどでも大いに取り上げられ、矢追順一氏などが一躍有名人となったこともありました。

まぁ、そんなUFOブームの経緯などどうでもいいのですが、私はその頃から大いに疑問に思っていることがあります。



UFOとは、Unidentified Flying Objectの略であり、日本語では皆さんご存じの通り「未確認飛行物体」となります。ということは、例えば飛行機のライトを見誤ったのであったとしても、それが飛行機のライトであると確定するまでは、あくまでも未確認飛行物体、要するにUFOであって、確定していない時点でUFOではないと断言するのは非常におかしな話だと思うのです。

一般に、「UFO=空飛ぶ円盤」というような認識を持っているため、 このように矛盾した論争がさも当たり前のように交わされてしまうのではないでしょうか。

もちろん、一般には 「UFO=空飛ぶ円盤」という認識が大多数のため、既に言葉の意味が変異してしまったのだとすれば、全くの誤用であるとも言い難いのですが、月刊ムーを創刊号から数年間買い続けるという少年時代を過ごした私としては、ここは間違えて欲しくない重要なポイントなのです。

ということで、まとめ。

●UFO=未確認飛行物体=飛行機かも円盤かもロケットかも風船かもわからないが、とにかく飛んでいる物体。
●空飛ぶ円盤=一般には異星人など地球外生物の乗り物として認識されている飛行物体。

とまとめてみたものの、実はまとめになっていない現実‥。だって空飛ぶ円盤自体が本当に異星人の乗り物なのか確認されていないため、地球上では通常あり得ないアダムスキー型をしていようが、人知を超えた急角度で飛行経路を変えようが、突然目の前で消えてしまおうが、やっぱり未確認飛行物体でしかないのです‥。

2012年1月10日火曜日

夜、爪を切ると親の死に目に会えない

「夜、爪を切ると親の死に目に会えない」という迷信があります。

これの言わんとするところをネットで調べてみると、偉い先生たちも含め、昔は照明が弱いため、爪以外の部分を傷付けてしまい、そこからばい菌が入って云々・・・という意見ばかり。確たる根拠を基にしたものではなく、恐らくそうであろうというもの。

もちろんその意見を否定するものではありませんが、私はどうにも納得がいきません。確かに暗がりで爪を切るのは危険だし、そこからばい菌が入る可能性もそれなりにあると思われます。昔は今のように安全な爪切り具もなかったでしょうし・・・。でも、もっと危険性の高い行為はいくらでもあるのだから、わざわざ爪切りを取り上げ、長年にわたって言い伝える必要性が私には感じられないのです。


では、いったいこの迷信は何を教訓として伝えようとしているのか・・・。私は自らの経験から、夜爪を切るという行為は「もし~」ではなく「いつも~」ではないかと考えました。

夜は暗くて爪を切りにくいとわかっているのにいつも夜に爪を切るのは、夜にしか爪を切る時間がないから。要するにお天道様の出ている間は仕事なり遊びなりに没頭していて、爪を切るなどという急ぎでない作業をする余裕が取れるのは夜のみということであり、そんな乱れた生活をしていると必ずや体調を崩し、結局親より早死にしてしまうということではないかと。

もう10年以上前ですが、深夜残業や徹夜、休日出勤が当たり前で、ひどい時は週(7日間)の合計睡眠時間が10時間あまりというような生活をしていた頃、深夜というか早朝の暗がりの中、睡眠不足でぼんやりしたまま爪を切りながら、

「ああ、夜に爪を切ると親の死に目に会えないというのは、 こういうことを言うのか。確かにこのまま続けてたら死はもう目の前だな。」

と、一人合点をした次第です。

※結局この後、椎間板ヘルニアを患って2ヶ月半という長期入院をし、またその際にダメージを負った肝臓はいまだに健康診断で毎年異常値を叩き出し続けています・・・。

まぁ、これはあくまでも私個人の体験からくる考えであり、先の意見を覆すほどの強い要素があるわけではありませんが、私としてはこちらの方がしっくりくるのです。

2012年1月9日月曜日

このブログについて

このブログはタイトルのコメントにもあるように、日々の思い付きや考えたことなどを備忘録代わりに記しておく個人的なブログです。特に下書きや見直しなどもしませんので、誤字脱字、文脈のおかしな箇所も多々あろうかと思います。また気が向いた時にのみ投稿しますので、次回投稿がいつになるかもわかりませんが、その点は予めご了承ください。