ページ

ラベル 言葉と文字 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 言葉と文字 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016年3月29日火曜日

若き者へ

なぜ逃げる。

そこにあることがわかっていて
突っ込んだ壁じゃないのか。

逃げて何かが解決するというのか。

何が何でも乗り来なければならない壁なら、
なぜ死ぬ気で突っ込まない。

なぜ命懸けで乗り越えようとしないんだ。

自分の人生だろ。

なぜもっと真剣に自分と、
そして自分の置かれた状況に
向き合おうとしないのか。

最後の最後には
どこからか神の手が
差し伸べられるとでも思っているのか。

自分が自分の足で進まなきゃ、
乗り越えなきゃ、
一生壁のこちら側でもがき苦しむだけだ。

逃げて済むならそうすりゃいいさ。

逃げて逃げて逃げまくれよ。

それが自分の望む人生ならな。

2013年4月21日日曜日

電子書籍にビビるマスコミ

以下、時事通信の記事引用です。
電子書籍、利用者7%=「使わない」が7割-時事通信調査
 時事通信が3月に実施した電子書籍端末の利用に関する調査で、「使っている」との回答が6.7%、「使いたい」が22.2%にとどまり、69.8%が「使いたいと思わない」と答えた。利用者の割合は前回2011年3月調査(3.3%)から倍増したが、同端末の普及が進まない様子が浮かび上がった。
 年齢層別の「使っている」の回答割合は、30代が18.5%で最も高く、次いで20代が11.3%。一方、40代は6.1%、50代は4.1%、60代以上は1.5%と低調だった。「使いたい」は、20代から50代が25~30%程度だったが、60代以上は11.9%にとどまった。(2013/04/20-16:15)
まず、2008年に行った文化庁の国民の読書量調査では、約46%が月に1冊も本を読まないと回答しています。この層は年々増えていますから、5年後の今ならほぼ半数が本を読まなくなっていると考えられるでしょう。約半数にも及ぶ本を読まない人に電子書籍について質問すること自体にも問題がありそうですが、もっと注目すべきは「電子書籍」ではなく「電子書籍端末」について質問している点です。

要するにKindleやKoboなどの電子書籍端末を使っているか?使いたいと思うか?と聞いているのに、見出しには「電子書籍、利用者7%=「使わない」が7割」と、なぜか電子書籍を主語に持ってきているのです。これでは騙し記事だと言われても文句はないでしょう。数年前と違い、今や電子書籍の主力端末は専用端末ではなくスマホや汎用タブレットであり、電子書籍端末の利用率や利用期待率が低いからといって、電子書籍自体を否定しているわけではないはずなのに、この捻じ曲げ方には疑問を感じずにはいられません。

このアンケート結果そのままを記事にするとしても、「電子書籍端末、利用者倍増=使いたいが約3割にのぼる」というタイトルを付けることだって出来るわけです。たとえば以下のような感じで‥。
電子書籍端末、利用者倍増=使いたいが約3割にのぼる
 3月に実施した電子書籍端末の利用に関する調査で、「使っている」との回答が前回2011年3月調査(3.3%)から倍増の6.7%、「使いたい」が22.2%となり、合わせて28.7%が「使っているまたは使いたいと思う」と答えた。同端末の今後の普及が予想される状況が浮かび上がった。
 年齢層別の「使っている」の回答割合は、30代が18.5%で最も高く、次いで20代が11.3%。一方、40代は6.1%、50代は4.1%、60代以上は1.5%と低調だった。「使いたい」は、20代から50代が25~30%程度だったが、60代以上は11.9%にとどまった。(2013/04/20-16:15)
どうです?後半の段落は一切加工していませんので、見出し+本文前半を本物の記事と比べてみてください。見出しから騙し要素の入っている本物より、こちらの方がよっぽどしっくりくるのは私だけでしょうか。

時事通信ともあろうものが、なぜこういう恣意的なアンケート結果を記事として堂々と公開するんでしょうね。電子書籍の普及がそんなに怖いのでしょうか?(笑)


ま、というような時事通信への突っ込みはこのくらいにして、せっかくなのでこのアンケート結果の本質を読み取ってみたいと思います。

まず、KindleやKoboなどの電子書籍端末を持っている+購入希望者が約3割ということって、私としては大きな数字が出たなと驚いています。だって情報機器は普及率が15%を超えると爆発的な普及につながると言われているのに、単純に購入希望者の半数弱しか買わなかったとしても、普及率は簡単に15%に達してしまうわけです。

現在はスマホや汎用タブレットが電子書籍の主力端末として利用されていますが、この数値からすると、将来的には電子書籍端末が主力となる可能性も充分あり得る、と考えられます。そう考えると、周囲から叩かれながらも、Koboの普及に力を入れている楽天の方向性は、あながち間違っていないのかもしれません。もちろん、全力投入中のアマゾンも‥‥。

それと、同記事の中では高年齢層が使っていない、使いたいと思っていないという点をなぜか強調していますが、シルバー世代商品でもあるまいし、言い方は悪いですが、電子書籍及び電子書籍端末の普及と言う観点からはどうでもいいことでしょう。主力である20代から50代が25~30%も使いたいと考えていることがわかれば、それで十分です。

ということで、マイナス方向への流れを作ろうとしている(と感じられる)このアンケート結果からでも、今後、電子書籍及び電子書籍端末はますます普及していくのではないかと想像されます。毎年毎年「今年こそ電子書籍元年」と言われて久しいですが(笑)、さすがにそろそろ元年と言ってもいい時期に来ているだろうなと、私は感じはじめています。

ということのということで、せっかくなので私の電子書籍(一部)をご紹介しておきますので(^_^;、お暇でご興味のある方は是非ご購入ください(^_^;;; 。いやーなかなか売れないのです・・・(T_T)。って、最後の最後にこんな宣伝を入れてしまうと、情報を恣意的に捻じ曲げているのは私の方?って思われちゃうかもなぁ。まぁ、それならそれでもいいや。

2012年12月29日土曜日

ありがとう&ごちそうさま

私は、例えばお店やコンビニで商品を買った時は、レジをしてくれたスタッフに「ありがとう」。レストランや居酒屋などだと、フロアスタッフだけでなく、出来れば厨房スタッフにも「ごちそうさま」。たとえ初めてのお店でも、出る際には必ず一言お礼を言うようにしています。

コンビニなどだとありがとうを言ってくれる客も少ないのか、こちらの言葉に「え?」と驚きの表情を見せる場合も少なくありません。それでも、戸惑いながら返してくれるスタッフの「ありがとうございました」は、いつもの表情やトーンとは一段違っているようで、こちらも何だか余計にうれしくなってしまいます。

そして何度か通ううちに顔を覚えられ、最初から丁寧な対応やあいさつをしてくれたり、時には大学生バイトのおにいちゃんに「今まで仕事ですか?大変ですね」なんて声をかけられたり・・・。

自分が学生時代、アルバイトしてた時にかけてもらえた「ありがとう」がとてもうれしかったので、客の立場になったら必ず言うようにしていたものがずっと続いて、今ではある意味癖のようになっているわけです。

まぁ、もし全部の客がありがとうを言うようになれば、またスタッフの対応も違ってしまう可能性は大ですが(笑)、たった一言かけるだけで、もしお店のスタッフがほんの少しでも心が和んだり、ちょっぴりでもうれしいと感じたり、わずかでも明るい気持ちになってくれるなら、こちらもちょっとだけどハッピーになれるわけで。

近頃のお店は全般的に、一言も会話しなくてもいいようなシステムになりつつあるようですが、ほんの一言を付け加えるだけで簡単にやさしい空気を作れます。もし無言のままの方は、ぜひ一度試してみてくださいね(^_^)。

2012年11月7日水曜日

【経済】今昔経済人の言葉

2ちゃんねるで面白い書き込みがあったのでとりあえず保存。内容が正しいかどうかは未確認ですので、イマドキの経済人の個人名は伏せておきましたが、それでも問題があるという場合はお知らせください。



【参考資料:昔の経済人の言葉】

岩崎弥太郎(三菱財閥創始者)
「およそ事業をするには、まず人に与えることが必要である。それは、必ず後に大きな利益をもたらすからである」
本田宗一郎(本田技研工業創業者)
「社長なんて偉くもなんともない。課長、部長、包丁、盲腸と同じだ」
土光敏夫(旧経済団体連合会第4代会長)
「社員諸君にはこれから3倍働いてもらう。役員は10倍働け。俺はそれ以上に働く」
ヘンリー・フォード (フォード・モーター創業者)
「奉仕を主とする事業は栄え、利得を主とする事業は衰える」
「ほかの要因はさておき、我々の売上は、ある程度賃金に依存しているのだ。より高い賃金を出せば、その金はどこかで使われ、ほかの分野の商店主や卸売り業者や製造業者、それに労働者の繁栄につながり、それがまた我々の売上に反映される。全国規模の高賃金は全国規模の繁栄をもたらす」
松下幸之助(旧松下電器産業創業者)
「産業人の使命は、水道の水のごとく物資を無尽蔵たらしめ、無代に等しい価値で提供することにある。それによって人生に幸福をもたらし、この世に楽土を建設する」
渋沢栄一(実業家)
「その事業が個人を利するだけでなく、多数社会を利してゆくのでなければ、決して正しい商売とはいえない」
早川徳次(シャープ創業者)
「一.近所をよくする。近所を儲けさせる。二.信用、資本、奉仕、人、取引先、この五つの蓄積を行え。三.よい人をつかんだら、決して放すな。四.儲けようとする人は、儲けさえあればいいんだ。何事にも真心がこもらない。五.人によくすることは、自分にもよくするのと同じだ。人を愛することは、自分を愛するのと同じだ。事業の道も処世の道も、これ以外のものはない。」



【参考資料:イマドキの経済人の"言葉"】

自動車会社相談役
「格差があるにしても、差を付けられた方が凍死したり餓死したりはしていない」
「マスコミの厚労省叩きは異常。報復しようかと。スポンサー引くとか」
「人間の国際化しないと日本ダメになる。第2の大和民族を作ってもよいから若い外国人に来て貰い少子化対策を」
リース会社会長
「パートタイマーと無職のどちらがいいか、ということ」
人材派遣会社社長
「格差論は甘えです」「過労死は自己管理の問題。他人の責任にするのは問題」
「競争はしんどい。だから甘えが出ている。個人の甘えがこのままだと社会の甘えになる」
人材派遣会社社長
「格差は能力の差」
人材派遣会社社長
「フリーターこそ終身雇用」
人材派遣会社社長
「業界ナンバー1になるには違法行為が許される」
外食チェーン社長
「24時間仕事のことだけを考えて生きろ」「人間はなにも食べなくても[感動]を食べれば生きていけるんです」
自動車会社社長
「最近は若者があんまりお金を持ってないと、いうのがあって若者が少し車離れしてるんですね。それで車離れとお金がないって事でそういう『連中』が少し安い車という流れも少しある」
自動車会社会長
「土曜休んで日曜も休む奴は要らない。8時間働けばそれでいいなど通用しない。成果で報酬がでるんだ」
電機メーカー会長
「業績が悪いのは従業員が働かないからだ」
カメラメーカー会長
「偽装請負は法律が悪い」「新卒社員は学生時代の成績で初任給に格差をつけろ」
「派遣労働が低賃金なのは当たり前。気ままに生活して賃金も社員並みというのは理解できない」
大手英会話教室創業者
「労働基準法なんておかしい。今は24時間働かないといけない時代なのに」
人材派遣会社会長
「日本で払う給料は、間違いなく中国で払うより高い。労働者が、もの凄く安いコストで働いているというようには私は思っていません」
事業者向け金融会社創業者
「金儲けるのは金持ちから儲けるのは大変なんだよ。貧乏人から儲ける方が楽なんだ」
「おい、いいか。俺の『バカ』と言うのを、100万回テープに吹き込んでおけ。毎日聞いとけ! バカバカバカ! バカッ!!!」
自動車会社社長
「日本の報酬体系では、外国人を抱えられない」
化学会社会長
「(尖閣諸島付近における中国漁船衝突)事件はもう済んだこと。だが日中関係を悪化させたビデオ流出は徹底的に追及せよ!」
「(東電福島第一原子力発電所が)1000年に1度の津波に耐えているのは素晴らしいこと。原子力行政はもっと胸を張るべきだ」
地方テレビ局取締役
「(俺自身は就活したことないけど)就職が内定してない学生は反省しろ!コネを使って何が悪い?」
電機メーカー会長兼社長
「個人情報流出など知ったことか。利用者はゲームが出来ないことに怒ったに過ぎぬ」

2012年2月5日日曜日

親友ってそんなものなのか?

先日、FM放送のティーン向け番組が「親友とは何か?」というテーマでリスナーから意見を募集していました。要するに、友達と親友の境目に線引きをすることで、「親友」の定義付けをしようというもの。

番組中に寄せられた声は概ね、何でも話が出来るとか、決して裏切らないとか、嘘をついたり隠し事をしないとか‥‥そういうものが大半を占めていました。先輩の声として大人たちからもメッセージが届いていましたが、基本的には似たようなものでしたから、世間一般の考え方としてはこれが平均的なところなのでしょう。

番組でもこれらをまとめることで結論とし、更に一歩踏み込むことはありませんでした。パーソナリティーも同じ意見だったのか、それともティーン向けなのでこれでよしとしたのか、真意のほどはわかりませんが、ワイワイ楽しければOKという近頃のメディアのあり方そのままのように感じて、残念で仕方ありませんでした。

確かに私も10代の頃は似たようなものだったかもしれませんが、だからこそ、大人が主導するメディアではもっと深いところまで踏み込み、若い世代に問題意識を投げかけて欲しかったのです。

では、私のいう問題意識というのはどういうことなのかということですが、その前に、私の中での「親友」とは何かをまとめてみます。

私は対人関係を大まかに4つに分類しています。 ※常に意識している訳ではありません。
  1. 知り合い: 顔と名前が一致する。
  2. 友達: 私的な内容も遠慮なく話し合え、互いに信じあえる関係。
  3. 親友: 相手のためなら自分をある程度犠牲にすることも厭わない間柄。
  4. 大親友: 肉親と同等。自らを犠牲にすることに躊躇ない関係。
私の中では、「親のような友達」または「親戚のような友達」が「親友」です。上記の分類でいえば、前者が大親友で、後者が親友ということになります。

親が子供を思う時、自分の命がどうなるかなど関係ありません。言葉にすると大げさですが、子供を守るためならたとえ火の中だろうと水の中だろうと、躊躇なく飛び込むことが出来ます。世間的にはそうでない親もいるようですが、少なくとも私は(もしかしたら一瞬躊躇するかもしれませんが)飛び込みます。

友達関係においても、そこまで深い繋がりがあるのが「大親友」であろうと考えています。太宰治の「走れメロス」に登場する友人関係がまさにこれにあたるでしょうか。

これに比べ、命までは犠牲に出来ないが、例えば自分の財産が無くなることくらいなら問題ないとか、人から後ろ指差されるようになっても構わないと思えるのが、「親戚のような友達」である「親友」となります。


私が番組を残念だと思ったのは、この私の考え方とは違う結論だったからではありません。 寄せられた意見のほとんどが受身であり、自分本位だったからなのです。


(自分が)何でも話を出来、(自分が)裏切られず、(自分が)嘘をつかれない・・・

親友を自分に都合のいい存在だと考えていることが驚きであり、情けなくもありました。そんなのは親友以前に友達でもありません。単に自分に利益をもたらす便利な存在が親友だなんて‥。

恋愛でもそうですが、自分が何を得られるかではなく、何をどれだけ与えることが出来るのかを考え、思い悩むのが真の「愛情」であり「友情」であると私は考えます。実際には10代の若者たちも経験を積むことで理解出来るようにはなると思いますが、だからこそ番組では、「そうじゃないだろ?もっとよく考えてみろよ!」と投げかけて欲しかったのです。

当のパーソナリティー本人とは面識もあるため実名は控えますが、もし今後も同じような企画を実施するのであれば、ぜひもう一歩踏み込んだ議論へ持ち込んでもらいたいと切に願っています。

2012年1月31日火曜日

【経済】天然由来に激しい嫌悪感

近頃、健康食品や化粧品などのテレビコマーシャルなどで、よく「天然由来」とか「天然由来成分」という言葉が使われていますが、私はこの言葉を聞くたびに違和感を覚え、当該製品に対して嫌悪感さえ抱いてしまいます。




1:天然品や自然成分ではなく、なぜ由来なのか
このような表現をするということは、当然、畑で採れた大根や、海で釣りあげたサンマのような、「自然物そのものではないモノ」が含まれていることは明白であり、それを誤魔化すための方便だと思われます。「天然モノですよ」と言ってしまうと薬事法や景品表示法に引っかかってしまうため、ギリギリの表現で、消費者が勝手に天然モノであると勘違いしてくれることを狙っているのでしょう。
 
2:なぜ自然物=善、合成物=悪という根拠のない図式を押しつけるのか
そういう勘違いを誘うということは、天然モノや自然物が全て善で、合成物が全て悪であるという前提に立っていると思われますが、本当にとんでもない話です。山を歩いていて漆にかぶれたことがないのでしょうか?フグやキノコの毒にあたって人が亡くなったというニュースを聞いたことがないのでしょうか?トリカブトで殺人を疑われた事件を知らないのでしょうか?自然界には毒物が山のように存在しているというのに、おかしな話です。

3:自社製品に注意しろと言っているのか?
上記1と2から考えると、コマーシャルで「天然由来」を押し出しているということは、そう言わざるを得ない「何がしかの化学合成物質」が含まれているということを強調しているようにしか、私には思えません。要するに、化粧品のコマーシャルで「当社の化粧品には、何らかの化学合成物質が含まれているんですよ!どうですか?素敵でしょう?」とわざわざアピールしているとしか思えず、相当な違和感を感じてしまうのです。



時期的には、「茶のしずく」事件が表面化した頃からこの表現が使われるようになっているように感じますが、 この言葉を用いることで、余計に消費者に警戒感を抱かせる可能性は考慮されていないのでしょうか。それとも、警戒感を抱くような消費者層を最初からターゲットとしていない、ということなのでしょうか。

私自身は、無農薬野菜や添加物不使用食品の摂取こそが健全な心身を形作るという考えでありますが、現代生活においてそれだけでは生きていけない現実も充分に認識しており、厳格でストイックなエコロジストという訳ではありません。農薬を含め一定レベルの合成物は必要だと考えますし、その摂取もやぶさかではありません。子供の頃からのアトピー性皮膚炎で現在も苦しめられながらも、カップ麺のケミカルな味わいが大好きなくらいですから‥。

ただ、今回この話題を取り上げたのは、食品をはじめいろいろな商品について、自然回帰をと願う多くの人たちの想いを逆手に取って、売り上げを伸ばそうというコマーシャルのあり方に違和感を覚え、激しく嫌悪感を感じているためです。


画像:フリー素材屋Hoshino提供

2012年1月10日火曜日

夜、爪を切ると親の死に目に会えない

「夜、爪を切ると親の死に目に会えない」という迷信があります。

これの言わんとするところをネットで調べてみると、偉い先生たちも含め、昔は照明が弱いため、爪以外の部分を傷付けてしまい、そこからばい菌が入って云々・・・という意見ばかり。確たる根拠を基にしたものではなく、恐らくそうであろうというもの。

もちろんその意見を否定するものではありませんが、私はどうにも納得がいきません。確かに暗がりで爪を切るのは危険だし、そこからばい菌が入る可能性もそれなりにあると思われます。昔は今のように安全な爪切り具もなかったでしょうし・・・。でも、もっと危険性の高い行為はいくらでもあるのだから、わざわざ爪切りを取り上げ、長年にわたって言い伝える必要性が私には感じられないのです。


では、いったいこの迷信は何を教訓として伝えようとしているのか・・・。私は自らの経験から、夜爪を切るという行為は「もし~」ではなく「いつも~」ではないかと考えました。

夜は暗くて爪を切りにくいとわかっているのにいつも夜に爪を切るのは、夜にしか爪を切る時間がないから。要するにお天道様の出ている間は仕事なり遊びなりに没頭していて、爪を切るなどという急ぎでない作業をする余裕が取れるのは夜のみということであり、そんな乱れた生活をしていると必ずや体調を崩し、結局親より早死にしてしまうということではないかと。

もう10年以上前ですが、深夜残業や徹夜、休日出勤が当たり前で、ひどい時は週(7日間)の合計睡眠時間が10時間あまりというような生活をしていた頃、深夜というか早朝の暗がりの中、睡眠不足でぼんやりしたまま爪を切りながら、

「ああ、夜に爪を切ると親の死に目に会えないというのは、 こういうことを言うのか。確かにこのまま続けてたら死はもう目の前だな。」

と、一人合点をした次第です。

※結局この後、椎間板ヘルニアを患って2ヶ月半という長期入院をし、またその際にダメージを負った肝臓はいまだに健康診断で毎年異常値を叩き出し続けています・・・。

まぁ、これはあくまでも私個人の体験からくる考えであり、先の意見を覆すほどの強い要素があるわけではありませんが、私としてはこちらの方がしっくりくるのです。